母の日・父の日

あったかくなってきたとtシャツをきていると朝と夜が非常に寒いです。
どうも岸田です。
 
さて今週末は母の日ですね。

母親に感謝を表す日として、5月の第二日曜日に設定されていますね。
ちなみに父の日としては6月の第三日曜日です。(今年は6月18日)
 
この母の日と父の日の由来はどこからきているのでしょうか?
 
母の日の由来
アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother’s Day Proclamation)を発した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother’s Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービス(Ann Jarvis)の活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。
ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナ(Anna Jarvis)は、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる。
アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908年5月10日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。
1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められた。
なお日本では、明治末期から大正にかけて広まったとされ、昭和初期から戦後しばらくの間は、当時の皇后(香淳皇后)の誕生日3月6日が「母の日」とされていました。
その後、1937年(昭和12年)5月8日に、森永製菓が第1回「森永母の日大会」を開催。1949年(昭和24年)頃からはアメリカに倣い、5月の第2日曜に行われるようになったようです。    (Wikipedia参照)
←アンナ・ジャービス
 
父の日の由来
1909年アメリカワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd)が、手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。彼女が幼い頃南北戦争が勃発。父ウィリアムが召集され、彼女を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でウィリアムの復員後まもなく亡くなった。以来男手1つで育てられたが、ウィリアムも子供達が皆成人した後、亡くなった。
最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われた。当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。
1916年、アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンは、スポケーンを訪れて父の日の演説を行い、これにより父の日が認知されるようになる。
1966年、アメリカ合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソンは、父の日を称賛する大統領告示を発し、6月の第3日曜日を父の日に定めた。1972年になり、アメリカでは正式に国の記念日に制定される。
母の日の花がカーネーションなのに対し、父の日の花はバラ。ソノラ・スマート・ドッドが、父の日に父親の前に白いバラを供えたからとされている。1910年の最初の祝典の際には、YMCAの青年が、父を讃えるために、父が健在の者は赤いバラ、亡くなった者は白いバラを身につけたと伝えられる。
なお日本では、昭和25年(1950年)頃から徐々に広がりを見せ、現在のような一般的な行事として認知されるようになったのは、1980年代と言われています。        (Wikipedia参照)
←ソラノ・スマート・ドット
 
両方とも女性の働きで作られた日だったのですね。
 
忙しい日々や、その他の行事でついつい忘れがちな「親孝行」
いつもいる当たり前になっているからこそ忘れがちですよね。
 
近くにいるから、嫁姑の問題でと時間だけが過ぎていき、ないがしろにしてしまいがちです。
この日をきっかけとして、ご両親と過ごす時間を作ったり、何かプレゼントすることは良いことですよね^^
ちょっと話をするだけでも良いかもしれません。
是非ともこれを機会に感謝をお伝えしてください^^